« 永き眠りの後に#39 | トップページ | 普通の人々 »

2007年10月31日 (水)

永き眠りの後 end

エピローグ

パク・ジョンイルの野望に、好むと好まざるとに関わらず、巻き込まれて振り回され、一喜一憂した人々のその後について簡単に触れておく。

おじいちゃんを「事故」で亡くしたイ・ヒョングとリョ・テクの孫たちのその後について。

いつものように学校が終わり家に帰っても、誰も、お帰りと言ってくれる人はいないので大変寂しがっていた。しかし、不思議なこともあった。あの事件以来、毎年旧正月の2月とおじいちゃんたちの命日には日本国内の朝鮮総連を通して、ある人物から七色ドロップとチョコレートが送られてくるそうだ。孫達は大変喜んで、これはきっとおじいちゃんが送ってくれたものだと今も思っている。それにも増して親たちが驚いたのは、事件の起こったひと月後のこと。党中央委員会の者と称して、イ・ヒョングの息子夫婦のアパートに男が二人訪ねてきた。娘夫婦はとっさにまた何か問題でも起こしたのかと顔を引きつらせたが、実はそうではなかった。その男は、父イ・ヒョングを労働英雄として表彰したい旨伝えに来たのだ。ますます混乱した夫婦は、悪い冗談かと思ったが、幸いにも間違いではなかった。ちゃんとパク・ジョンイルの肖像が彫ってあるブロンズのメダルと、労働者の2ヶ月相当分の賞金が添えられ、それに、この頃は滅多に手に入らない肉の薫製らしきものを置いて帰ろうとした。我慢しきれずイ・ヒョングの娘が党から来たといった男におずおずと尋ねた。父が、国家のためにどんな英雄的なことをしたのか、と。その党の要人らしき男はそれに対して、国家の機密であるからそれは明かせないが、あなた達の父は勇敢に国家人民と党のために一命を捧げた、我々はその英雄的犠牲を永遠に忘れないだろう、といって去っていった。後に残された親子は狐につままれたような顔をして互いに見合っていたが、誰とはなく涙が出てきて親子4人抱き合って泣いた。それはメダルと賞金をもらったうれしさ故の涙ではなく、いつもさえないように見えたあのおじいちゃんが、お国のために何かどえらいことをしたという誇りからだった。もう孫たちも周りの子どもたちからつまはじきにされなくて済む。と、言うのが、この噂はアパートの付近一帯に広がり、あのイ・ヒョングが、と人びとが噂するようになったからだ。

リョ・テクの家も同じような有様だった。突然訪問した党の要人が、リョ・テクの「偉業」を称えて帰って行った。リョ・テクの養子夫婦と孫たちは、何が何だか分からない中呆然とその場に立ちつくした。気がついて辺りを見渡したらリョ・テクのアパートの周りは黒山の人が集まっていた。それもそのはずだ。党の記章と旗をなびかせた高級車が駐まり、うやうやしくリョ・テクの家に入っていったのだ。周りの子どもたちはリョ・テクの孫たちに、労働英雄として授けられたメダルを見せてくれとせがんだ。リョ・テクの孫たちは、この時ほどおじいちゃんを誇りに思ったときはなかった。興奮も冷めた後になって孫たちは思った。おじいちゃんはどんなすごいことしたんだろうかと。しかし子どもたちにとってそれは永遠に謎のままだろう。

ロシア大使館付「商業調査担当」ミハイル・ヤノーシュは、妻ソニアを「業務中の事故」で亡くし、しばらく呆然としていたが、考えた末に、故国に帰ることにした。そして、まだ50歳になったばかりのミハイル・ヤノーシュはこの仕事が嫌になり、少し早いが引退したい旨上司に申し出た。

通常はあり得ないことだが、内情を理解していた上司はそれを快く受け入れた。帰国後、ミハイルは二人の子ども達と故郷のペテルブルグで年金を元手に、雑貨屋をはじめたそうだ。皮肉なことに、その雑貨屋がたいそう繁盛して、ミハイル・ヤノーシュは長女のソーニャにも手伝いを頼むことが多くなった。いつのまにか成長したソーニャは、母親にうり二つになり、ミハイルは東京時代を思い起こしてさみしくなることがあるそうだ。あの時、自分がどうしてもっとはやく気づいてやれなかったのか、夜になると自責の念に駆られ、それに妻を亡くした寂しさからワインの量が過ぎることがあるそうだが、娘のソーニャーにやさしく口づけされ、はやく休むように諭されるらしい。この元スパイの雑貨屋は、今も男やもめながらペテリブルグの下町にひっそりと営業しているそうだ。

セルゲイ・バッハービッチは大統領への報告もそこそこに、ミーシャの待つ実家へ飛んで帰った。

一連の事について何も知らされていないミーシャは「ごく普通」の大歓迎をしてくれたが、セルゲイにはかえってそれがうれしかった。久しぶりに会ったばかりなのにミーシャは、セルゲイが出かけていったその後のことを1から10まで事細かに話し続けるのだった。それをただほほえんで聞き流していたが、セルゲイはやっと自分がミーシャのもとに帰ってきたんだという実感が湧いた。義父のラスコー夫婦もセルゲイに目配せして、陰ながら無事の帰還を喜んでいた。そして一時は、娘ミーシャとセルゲイの結婚に大反対をしたラスコーではあったが、今日ほどこの義理の息子を誇りに思ったことはなかった。初めから話し続けていたミーシャももう話すことがなくなったらしくしばらく静かにしていたが、次の瞬間また、ニースへはいつから出かけるの、とセルゲイに迫って、大統領の命で家を明ける前に約束したことをセルゲイに思い出させた。今度の旅行も、きっと義父のラスコーが航空券から滞在先のホテルまで手を回してくれることだろう。ありがたいことだが、出来れば飛行機はアエロ・フロートではないものを願いたいが、愛国者のラスコーにはその願いは通じないだろうとセルゲイは覚悟した。セルゲイは今回の事件を経験して、ひとつ決心したことがあった。それは、自分にはこの仕事は向かない。もう一度大学の研究室に戻ろう、たとえ貧乏しても。それにはまた義父ラスコーの口添えが必要になり自分としてはあまり気が乗らないが、まあこの際致し方はあるまい。

その前に、今回の出来事の膨大なレポートを書くのが先だが。

エレーナ・テレジゴワは毎日サナトリウムの窓の景色を眺めるのが唯一の楽しみとなった。

体はますます硬直して、記憶もかろうじて幼い頃の母との楽しかった記憶は残っているが、記憶が新しくなるに従って薄れていき、昨日のことはまるで覚えていない。しかし、あやふやな思考の中で、最近イズベスチャ紙の一面を飾った「ジェイコブスキー大統領任期途中での辞任」に関する記事ははっきりと記憶している。なぜなら、エレーナの母に対する、若かりし頃のジェイコブスキー大統領の仕打ちへの当然の代償を払わせたと自負できる出来事だったからである。エレーナは、たとえわが身がこのために潰え去ろうとも悔いはなかった。

このジェイコブスキー大統領辞任に関したことで、クレムリン高官のオフレコによる示唆によると、ジェイコブスキー大統領のスイスにあるチューリッヒ・ナショナルバンクの秘匿口座には、莫大な金額の預金とその銀行の地下にある貸金庫には5億ドル相当の債券がFSBの手で明かされたそうである。そのことについて大統領は一切預かり知らぬ事と弁明したが、政敵はこれを機に、ジェイコブスキー大統領を追い落とすことに成功した。何事にも強引な大統領には政敵が多かったのだ。ただし、内政・外交両面を考慮して辞任の理由は「健康上の理由」となった。その後、ジェイコブスキー氏はウクライナの小都市ソチの近郊で、二人の従者の監視の下に年金生活に入った。彼も終日窓からの眺めが唯一の慰めになるそうだ。彼はその後回想録を執筆しようとしたが、その概略を構想する段になってペンが進まなくなった。なぜなら、血を分けたエレーナとその母親のことを正直に書くくらいなら、むしろ沈黙する方が痛みは少ないからなのだろう。そうであれ、ばこれからの余生を何をして過ごせばよいのか、考え抜いた元大統領は、解放され自由にることを選択した。方法は、二人の従者の隙をついて風呂場でカミソリを使ったらしい。用意周到で、シャワーを出し放しにしたうえで左手の手首の血管を縦に切り開いて冷水につけた。長いシャワーを不審に思った見張り役の従者が見つけたときには、もう血液は残り少なくなっていた。翌日の新聞によると、ジェイコブスキー元大統領は昨日、ソチの別荘で心臓発作に倒れ、医師の介護もむなしく回復しなかったと報じられていた。

ジュディ・マクガイアとマイク・ウエインは1年後に結婚することになった。

ジュディは、今回の事件解決での指導的な働きに際して、アメリカの中枢を牛耳っている面々の居並ぶ前で、ジュリア・ジョーンズ大統領から表彰され、FBI捜査官として不動の地位を獲得した。また、マイク・ウエインは、準教授紀要論文の遅れを取りもどすべく猛烈に勉強した結果、スタンフォード大学原子物理学の準教授資格試験にパスした。周りが言うには、二人が結婚したらきっとマイクはジュディの尻に敷かれるだろう、と。しかしそれは、マイクの望みでもあったのだ。それに、当然なことだが、このことはホワイトハウスの外に漏れることはなかった。なぜなら、もし核爆弾がニューヨークのど真ん中に持ち込まれたことが明らかになれば、爆発するしないにかかわらず、その責任を問う声は止まなかったはずである。何千億ドルも軍と諜報機関に金をかけておきながら、このざまは何だと共和党の院内総務あたりから糾弾されるはめになるのは火を見るより明らか。従って、ジュディ・マクガイアとマイク・ウエインは本来ならば国家の英雄として新聞テレビをはじめ全世界のメディアに登場するはずであったが、何のインタビューもなかった。もっとも、二人にとってそんなことはどうでもよかったのだ。ただ偉大な仕事をしたという充実感があったので、それで満足だった。

事件が一段落した日に、読売の矢崎と朝日の大家は、道新の檜山の墓参りで札幌に飛んだ。

檜山は生まれも育ちも道産子で、父親の話では、言い出したら聞かない正義感の持ち主だったそうだ。話を聞いていて、二人は成る程と思うことが多かった。彼は苦学したらしく、病みがちだった父のめんどうを看ながら、奨学金を受けて北大を卒業し、地元の北海道新聞に就職した。そして東京に派遣されて2年目、やっと30歳になったばかりの彼の前であの「大事件」は起きたのだった。それが一途な彼の正義感と衝突し、政府の言い分によると30万人の命の前に、苦渋の選択をしたとのことだったが、このことについて、矢崎と大家は一体だれを責めるべきか悩んだし議論もしたが答えは出なかった。強いて問えば、あの独裁者だろう、ということで話は治まった。矢崎も大家も、それには異存はなかった。そして矢崎と大家は、この一連の前代未聞の大事件について、朝日と読売の連携で特集を組むことをデスクに願い出て了承された。大筋での記事は二大新聞とも同じだが細部に至ると、その紙面により情報には違いがあり、読者は結局二紙を読まされることになるだろう。さすがここでも「ブル新」の根性をいかんなく発揮した出来事だった。勿論、矢崎は近いうちに東京本社勤務に戻り、報道部長は、本人が嫌がるのを制して社会部デスクに任命した。ただし、いつもそこに座っているとは限らないという了承をとってのことだが、それでもしぶしぶ受け入れた。

内閣官房副長官篠崎百合子は大山一郎首相に辞表を提出した。

理由は、いかに数十万の命の安全のためとはいえ、ひとりの若者の命をそれと引き替えに奪う命令を出したのは自分の責任だと自認していたからだ。確かに政府が考えたように、伏せておいた方が良かったのか、それとも道新の檜山が言うように早い時期に何らかの方法で目前の危機をオープンにして大惨事になった場合のことを想定するべきだったのか、今も分からない問題だ。あの状況で自分が決断したことは間違いではなかったろうが、しかし、ではそれが正しかったかと問われれば、自分の良心に照らして、わからないと言うしかなかった。大山一郎首相は強く留意したが、篠崎の決心は固かった。篠崎百合子のこれまでのキャリアは、この大事件によって無惨にも汚れてしまったが悔いはなかった。

彼女の多くのライバルたちの前を去っていく篠崎百合子は、何かサバサバしているように見えた。かって篠崎百合子と競い合った男たちも女たちも、事情を知っている者は逆に目を伏せた。自分だったら、篠崎のように冷静な判断が出来るだろうか、と考えたのだ。最後に、篠崎が内閣官房副長官の部屋を出て行くとき、東条とその部下は敬礼をもって送りだした。東条はこの任務について25年になるが、後にも先にも、女に敬礼したのはこれが初めてだった。

篠崎は鹿児島の母の元に帰ろうと思った。母ひとり子ひとりから出発したのだ。40代の独身女性としてはハンディもあるが、もう一度初めから挑戦してみよう。そしてこのチャレンジ精神こそ彼女の持ち味なのだ。

海田みどりはその後の努力の結果、知識においては同年代の人間に引けを取らないほどになった。

そればかりか両親譲りとでも言おうか、強靱な意志の力で体力も飛躍的に回復に向かった。既に、身体的に誰もこの人がかって寝っきりの病人であったとは思わないまでに回復した。しかし、幼い頃自分が経験したあの夜の出来事は記憶から消し去ろうにも消し去ることが出来なかった。時々そのことを考えると鬱ぎたくなるが、そこを乗り越えようと努力している。しかし、これは知識を吸収することや体を回復させることよりも難しいだろうが、その原動力がないわけではなかった。それは、両親は互いに敵対していたかもしれないが、それでも自分を愛していたという確信があったからだ。母の出生はわかったが、相変わらず父の素性はわからなかった。またそれを敢えてほじくり返すことに意味があるとは思えなかったので、海田みどりはそのままにしておいた。いまでは、毎月「富士吉田サナトリウム」にいる浜崎あゆみの兄を訪問するのも楽しみのひとつになった。そして、寝っきりの、意識がないと思われている無表情な浜崎あゆみの兄に、海田みどりはいつか目覚める日のために、世界中で起きたことを語り聞かせている。たとえその日がこなかったとしても続けることだろう。前回はサン・テグジュベリを読んで聞かせているうちに夕暮れになってしまった。

浜崎あゆみは、いろんな事が自分の身の周り起こり、ただそれの処理に追われ、今まで自分のことに思いが回らなかったが、今やっと自分の事を考えるゆとりが出来たように思った。

今までは、毎朝鏡を見るのも最低限の身繕いのためだったが、今朝、まじまじと自分の姿を見て、鏡の自分に笑いかけてみた。そうしたら鏡の中の自分もほほえみを返してきた。こうしてじっくり鏡を覗くのは何年ぶりだろうかと思ったが思い出せなかった。今まで自分は病床にこそ伏してはいなかったが、どこか病気だったのでないだろうか。今やっとそれが回復に向かっている。心のどこかで、自分の責任だと力んでいた兄の看病も、そのためにだけ自分の人生があるなどと考えた自分がおかしく思えた。確かに今もそれは浜崎あゆみの人生の一部ではあるが、その全てではないのだ。それに、これからは力強い協力者が現れた。身寄りは兄だけだと思っていたが、もうひとり同年代の女性があらわれたのだ。

そう言えば、エイコー電気一番の売上を誇る田中雄介が、何かにつけて自分を誘いに来るが、今日はひとつOKを出してみるか。そう考えている自分を思って、驚きと共に自然と笑みが湧いてきた。そのせいか朝階段を降りて職場に向かう浜崎あゆみのローファは弾んでいるように見えた。

海田真一郎について、もちろんアメリカ政府は何の公式発表もしていないが、内々に日本政府に伝えてきたところによると、北朝鮮首脳陣は、その後海田真一郎を丁重にしかも監視のもとに置いたが、両国の最終的な合意が成立し、カンビール型核爆弾と共に彼を洋上で待機していたアメリカ大統領差し回しの原潜に引き渡したということらしい。

消息筋の話によると、その時に海田真一郎は若い女性をひとり伴っていたとのことであった。ジュリア・ジョーンズ大統領が北朝鮮の共産党議長宛送ったメッセージには、当然といえば当然だが、北朝鮮にとって外交文書としては最悪の要求がしたためてあった。その極秘メッセージの一部を列記すると、「この度、わが国に対する核による卑劣な脅迫に対し、わが国は核攻撃による反撃の用意がある旨通告する。但し、もし、貴国が以下の条件を満たした場合は攻撃を思いとどまることもあり得る、と宣告して、その条件の最初に海田真一郎の身の保全と共に戦略核爆弾の返還があった。それに続いて、今まで新聞紙上に何度となく採り上げられた、アメリカの要求項目を網羅していた。ジュリア・ジョーンズ大統領は、これらのひとつでも不履行と認められた場合、アメリカ合衆国はためらうことなく、ピョンヤンへミサイルを発射する権利を留保する」、となっていたらしい。

海田真一郎がその後どうなったかについて、アメリカは一切明らかにしていないが、ある日、浜崎あゆみのもとへ不思議なはがきが届いた。消印はバハマ諸島で、差出人の名前は書いてなかったが、その文字を見て瞬時に誰であるのか浜崎あゆみには理解できた。ただ、今はこのことは自分だけの胸にしまっておこうと思った。そしていつの日か話す機会がきたら海田みどりにも説明しよう。

バリバ島はバハマ諸島の最南端にある小島で気候も温暖、1年中が常夏のように日差しは強いが木陰に入ればけっこう涼しい。この島の特徴は、現地の人びとに混じって島外の人間が多いということだ。ヨーロッパ人にアジア人それに最近は中東の人間も加わり人種のるつぼのようになっている。もうひとつの特徴として、この島は、いわゆるよそ者に優しい、ということだ。国家権力から祖国を追われた者や組織のボスの金とついでに女をかすめ取って逃げ込んできた二人連れや、人を殺して命からがら逃げ込んできた者にもこの島は等しく優しいのだ。アロハシャツ姿の役人は100ドル紙幣でほとんどの手続きを代行してくれ、1000ドルも払えばバハマ諸島の正規パスポートも用意してくれる。この島で生きるための唯一の法律は、この島では犯罪を犯すべからず、むやみに他人を詮索するべからず、だ。住人の話によると、この2つを遵守すれば天国の次に住みよい島だそうだ。

あの事件からちょうど一年後、北朝鮮全土のラジオ・テレビは早朝から荘厳なクラシック音楽を流し始めた。

               ・・・・・・・・・・

« 永き眠りの後に#39 | トップページ | 普通の人々 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント


http://paipai.krieh.com/Oy65FUN/

ここで稼いだ金を使って毎日パチ打ちまくってるよwwww
まともに仕事しなくても余裕だしウハウハすぎwwww


http://komachin.anusu.net/nekh68b/

言われるがままにお姉さんのお人形になったら6万もらえたー(・∀・)
イった後にお姉さんの乳首に精子トッピングしてあげたら
片乳ずつもの凄い勢いで舐めてオイシイって言ってたwwイミフwwwww


ふぉあぁあああ過去最高だったので報告ッスヽ(゜∀゜)ノ!!!!!
パイズリフェラがメインだったけどケツと玉で遊ばれた時が一番ヤバかったw
玉を口に含みながら指でGスポ刺激ってどこの嬢だよwwwww
不感症ぎみの俺ですらアヒアヒ言うくらいだからガチだわコレwww

http://papapai.younube.net/FNlRRjE/

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 永き眠りの後に#39 | トップページ | 普通の人々 »