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2007年8月 9日 (木)

あたしはシャケである-05

龍太郎さんのお仕事とその仲間

教会がでましたので、ここで龍太郎さんの会社の人々についてすこしお話ししたいのでございます。ネコの分際で言うのも何でございますが、かなりいじけた人でございます。誰のことかって、勿論龍太郎さんの事でございます。私はいつもこの人はどんな人なのか観察しているのでございますが、まるで雲を掴むような人なんでございます。第一、次にどのような態度に出るのか予想が出来ないのでございます。一体この人は何を考えているのか、考えていないのか、あるいは少しは考えているのか、わたしには分からないのでございます。会社で何をしているのかもよく分かりません。休みも、今週は土曜日、来週は月曜日と言うように決まっていないのでございます。ですから、わたしなど、今日はゆっくりソファーの上で昼寝を決め込もうと思いきや、10時ごろになって龍太郎さんがパジャマ姿で出てくるではありませんか。あ、そうか今日はお休みなのかと思ったら、11時頃に急に出かけるではございませんか。どうなっているのでございましょうか龍太郎さんの会社。やっと出ていったかと思っていたら3時頃急に帰ってきたりと、全く予想がつかないのでございます。

時々、今日は家で仕事をすると申されますので、そうか家でお仕事をなさるのかと思って見ていましたら、何時になってもお仕事をしているようには見えないのでございます。どう見てもわたしの目にはただ新聞を見ているとしか見えないのでございます。お昼頃になり、やっと重い腰を上げましたので、お、やっと仕事かと思いましたら、今度はお昼の支度をなさるではありませんか。龍太郎さんのお仕事って、一体何なのでしょうか。ネコのわたしには分からないことづくめでございます。妹のサトミが申しますには、何か悪いことをしているのではないかと言うのでございます。と申しますのが、時々夜出かけることがあり、服装にしてもスーツを着たり一見作業員風のかっこうで出かけたりで、統一性がないのでございます。サトミの説によりますと、某国のスパイではないかと言うのでございます。が、私は絶対に違うと思うのでございます。別に龍太郎さんを愛国者として尊敬しているからそう言うのではございません。私が確信している龍太郎さんは、そんな事が出来るはずがないのでございます。第一、あんなとんまな人をスパイとして雇う某国などあろうはずがございません。きっと何かくだらないお仕事をなさっておられるのですよ。こんなことを言うと、そのくだらないお仕事で食べさせていただいているのはどこのネコだ、とお叱りをうけるかもしれませんので、わたしども姉妹もあまり大きいことは言えませんが、きっとそうだと思うのでございます。

ところで、龍太郎さんの会社の人、私は何人も存じ上げておりますが、これまた龍太郎さんに負けず劣らずと言った方々で、類は友を呼ぶという、あれでございますよ。時々会議といってあちこちから会社の人が集まってまいりますが、これがまた何と表現したら良いのでしょう。実物を見せるのが一番とは思うのですが、ここは私の観察力でカバーさせていただきたいと思うのでございます。まず、北の方からいらっしゃった方など、すごいのでございます。自分はこの会社で一番物知りで、物事の筋を通して考えているが、それに比べてお前たちは、と公言してはばからない人なんでございます。スジスジとあまりに申されますので、皆様方は、あ、またスジが来たと陰口を申しておられるのでございます。恐ろしいもので、そのお方にとって、他の人間はクラゲなみのふにゃふにゃ人間で、自分こそ統一した思想の持ち主。この会社は自分でもっているようなものだ、というお考えのようにお見受けしたのでございます。誤解とは恐ろしくも一面こっけいなものでございます。ご本人がそう思っていらっしゃるのに、それは違うでしょうそれは妄想に過ぎませよとは言いにくいのでございますが、周りの人は笑いをこらえるのに苦労しておいででした。どこからそのような自信が出てくるのか謎でございます。ただ、ご本人は、今まで長い間亜流を歩んでこられまして、かなり屈折したお人のようにお見受けしたのでございます。そういえば、以前ケジメケジメと言いながら、定年退職なさったお方もおられたと聞いておりますが、他のお方から聞いたお話しによりますと、そう言っているご本人がいちばんケジメの感覚が乏しかったと言っておられました。成程、そういうものでございましょうか。また、以前、南の方からいらっしゃったお方を忘れることができません。このお方は、会社を「吉本興業」か何かと間違えられたのではないかと思ったのでございます。このお方のお話しの7、8割はダジャレでございまして、残りの2割程度が本題らしきものではございますが、実はその内の半分は冗談でございました。では残された2割の内の半分で、このお方は何をお話しになったのでございましょうか。それは、お昼に何を食べるかという時に、「カツ丼」と明確に意志表示なさったのち、またダジャレの世界にお戻りになったのでございます。このお二方が東西の両横綱といったところでございまして、龍太郎さんなどまだせいぜい駆け出しの十両といったところでございます。実はまだ、大関や小結といったお方がいらっしゃるのでございますが、いちいち話していたらこちらの頭がおかしくなってしまいますので、この辺で終わりにしたいのでございます。

この他にも龍太郎さんの会社には、面白いお方が沢山いらっしゃいまして、人材について言えば豊富の一言に尽きるかと思っております。ただ、その人材がどんなお仕事に使えるのかについては、たぶん意見が分かれるのではないかと思っております。もう一人付け加えておきましょう。この人は龍太郎さんの部下でございますが、この方の入社の面接の時でございました。履歴書はそれなりに素晴しいのでございます。奇麗な字がならんでおり、話しの感じからかなりシリアスな人かと龍太郎さんは判断なさったのでございます。職種を転々としたところは少々気になりましたが、これは出来そうだと判断し、採用の通知をなさったのでございます。ところが入ってびっくり玉手箱。美しい文字は古代象形文字に変わり、シリアスな感じは、ダジャレの女判のような人だということが判明し、この時ばかりは、龍太郎さんはご自分を、俺は人を見る目がないなと落胆されたと聞いております。私が思いますに、元々龍太郎さんには、人を見る目など鼻から無かったのでございます。それを何処から、人を見る目がある等とそのような大それた考えが出てきたのでございましょうか。誤解も甚だしいとはこのことでございます。毎日、龍太郎さんはその御仁と楽しくお仕事に励んでおられるようでございます。ついでに、もう一人ご紹介させていただきます。このお方は京都のご出身で、この時も龍太郎さんが面接なさったそうでございす。何とかいう短大を卒業のあとすぐ龍太郎さんの会社へ入社されたと聞いております。お仕事などは普通でございますが、問題はその人となりでございます。新聞テレビ等で報道されている子ギャル孫ギャル等、度肝を抜かれるような女性が一般的な昨今、よく今までこんなうぶな人が生き残っていたものだと、龍太郎さんはほとほと関心しておられるのでございます。龍太郎さんはまるでシーラカンスでも見るようにその女性を見ておられるのでございます。龍太郎さんはこういううぶな女性が好きなんでございます。子ギャル孫ギャルは嫌いなんでございます。最近外を歩いている女性の、特に女子高校生が龍太郎さんの女性観をまた歪なものにしたのでございます。特にあの白い靴下を、竜太郎さんはソックスとは言わずどうしても靴下と申しますが、だらんとたらませたあの姿。龍太郎さんには我慢がならないのでございます。なぜもっときちんと履かないのか。それには龍太郎さんの幼い頃の体験もはいっているのでしょうか。昔は靴下一枚にしても大切にしたものでございます。龍太郎少年の靴下はきっと穴があいてくしゃくしゃしてずり落ちていたのでございましょう。龍太郎少年は思ったのでございます。足が気持ちよく締まる皺のないずり落ちない靴下が欲しい。くしゃくしゃの靴下は、貧しいが故のくしゃくしゃでございました。当時もお金持ちの家では皺のない靴下を履いていたのでございます。然るに今は靴下一足買えないほどの家はまずありますまい。然るになぜくしゃくしゃのだらんとした靴下を履くのでございましょうか。苦々しく思っているのでございます。意見しようと思ったことは一度や二度ではございません。その度に、わずかに残る理性のかけらが忠告するのでございます。馬鹿なまねはよしなさい。これが回り回って百合子さんや静子さんに関係して、あの変なおじさんはあの人達のおとうさんなのよ、やーネ、なんてことにでもなれば、家族に合わせる顔がございません。必死にこらえているのでございます。はて、どこから女子校生の靴下の話しになったのか、あ、そうそうシーラカンスからでございました。とにかく、龍太郎さんはそのシーラカンスこと京都の田舎からきたお嬢さんがお気に入りなんでございます。年の頃もちょうどご自分のお嬢さん方と同じで、色々と世話をやかれるのでございます。その田舎からきた娘さんもそれを嫌がる風でもなく楽しくお仕事に励んでおられるようでございます。その娘さんのことで最近分かったことでございますが、華奢なんでございます。体つきもそうでございますが、その精神でございます。繊細なんでございます。ですから、この都会の生活には合わないらしく、時々は故郷の野山を飛び回っていた頃の思い出に耽っておられるのでございます。「ウサギおいしかのやまァ」の世界でございまして、「子ブナ釣りしかの川」の世界が龍太郎さんの世界でございまして、そんなことも話が合うところでございましょう。ところで私も気になるのでございますが、例のあのくしゃくしゃの靴下のことでございますが、普通でしたら、あれほどくしゃくしゃしていたらずり落ちて足首あたりで澱んでしまうはずですが、どうして最後までずり落ちないでかろうじてひっかかっているのでございましょうか。不思議でございます。あ、いけません、私も龍太郎さんの悪癖が移ったようでございます。

なお、龍太郎さんの性格について、もう少し私が調べ上げたことを極秘でお知らせしますれば、以下のようになるのでございます。まず短気であり、また悠長なところもあり、陽気なところもあるが陰気である。また、一つのことにこだわりつづけるかと思いきや、次の瞬間淡泊と言えるほどに物事に執着しない。冷淡な性格かと思いきや、思いやりもちらほらある。ケチでどうしょうもないなと思えば持ち物全部投げ出す。社会体制におもねるかとおもいきや、突然楯突くこともある。要するに、支離滅裂、心理分析の教科書からはみ出す素材ということになるのでしょうか。ですから私たち、素晴らしいと思うのでございます。だって、こんな危ない人と事故もなく、これまでひとつ屋根の下で暮らしてきたのですから、もうそれだけで十分この社会に貢献してきたと自負しているのでございます。

思いつくままにお話して申し訳ありませんが、次に友子さんのことをお話したいのでございます。と申しますのも龍太郎さんの性格をご紹介するのには友子さんとの掛け合いにおいてがいちばんよく分かると思ったからでございます。その友子さんのことですが、最近流行っておりますカルチャーセンターにいってらっしゃるのでございます。家事にパートにその上に日曜日には、人々が寝ているときに教会にお参りに行き、それに加えてカルチャーセンターとは、龍太郎さんとは別の意味ですごいお人でございます。その合間にパッチワークなるものも始められたようでございます。パッチワークなるものがどんなものか、ご存知ないかたもおられるかもしれませんので簡単にご説明しましょう。要するに、半端布を色々な模様にして繋ぎ合わせ、ベットカバーなどを作るという遠大かつ無意味な作業でございます。私など、周りで見ておりますと、イライラするほどに退屈な作業でございます。龍太郎さんがいつも嫌みたっぷりに言っておりました。一体こんな切りはぎ細工にどんな意味があるのかね。これも宗教上の難行苦行のひとつかね。そこでまた判で押したような掛け合いが始まるのでございます。友子さんが申します。私は、あなたが趣味のギターの弾き語りを始めても、ジンマシンが出るから下手な歌はやめてくださいとは言わないでしょう。あなたも、私の好きなことにケチをつけるのはやめてください。どこかのお人とちがって筋が通っているのでございます。しかし、そこで怯むような龍太郎さんではございません。すかさず返答します。君のその情熱を、もっと多くの人々のために活用したらどうだい。世界中には何万、何百万人の人が食べることさえ出来ずに困っているんだよ。だんだん話が国際的かつ漠然となってまいりました。しかし、話は太いですが、これも筋は通っています。そこで友子さん。そう言うあなたはどうなの、と突っ込みます。あなたの好物の麦ジュースを飲むお金をそこに募金でもしたら。ここで目新しい単語について説明を付け加えさせていただきますと、「麦ジュース」なるもの、麦茶とは原料は同じで色もほぼ同じですが、実体が違うのでございます。では、どこが違うか。麦茶は注ぐときにも泡はでませんが、麦ジュースは泡が出ます。それに沢山飲めば酔っぱらうかもしれません。麦ジュースのことを世間ではビールと呼んでいる人もあるそうでございますが、とにかく、龍太郎さんには「麦ジュース」なんでございます。話しは続いて、僕はこの前に千円献金をした、と去年の暮れの歳末助け合いの赤い羽募金のことを言っているようでありました。その時もなぜ千円なんて奮発したのかと言いますと、とってもかわゆい女子高生が迫ってきたのでございます。付け加えますと、その女子高校生の靴下はたるんでいなかったそうでございます。そこで逃げるに逃げられなくなり大枚をはたいたのでございました。それを後悔しまして、まだ根に持っているらしく時々独り言のようにおっしゃるのでございます。その点、友子さんは、あ、そう、と軽く受け流しになり、またパッチワークに専念なさるのでございます。そこで不満でぶつぶつ言いながら龍太郎さんも自分の趣味のギターの弾き語りの準備にかかるのでございます。ついでながら、龍太郎さんの十八番は、森進一の「えりも岬」、都はるみの「北の宿」でございまして、龍太郎さんの歌が始まりますと、何処へともなく家人は散っていくのでございます。私とサトミは気配を感じたときから散っております。ところで、龍太郎さんがお歌いになると、賛美歌も森進一の歌に聞こえてくるのはなぜでございましょうか。不思議でございます。

はて、どこからこんな話になったのでしょうか、あ、そうそう、友子さんのカルチャーセンターでございました。実は友子さんがカルチャーセンターでお勉強していらっしゃるのは驚くなかれ、カウンセリングについてでございます。カウンセリングと言いますと、あの一時ラジオで流行りました「もしもし電話相談室」とか、「悩み事相談」のように人のお話を聞いてそれに答えるというあれですかという方もありそうですが、聞くところによりますと、どうも少し違うようでございます。カルチャーの日は毎回友子さんは楽しそうにお出かけになります。実は今回のお話しは、その友子さんがある日、自己診断のシートなるものを龍太郎さんにお見せになられたのが始まりでございました。面白そうだ、診断してもらおうじゃないかと言うやいなや、龍太郎さんは早速始められたのでございます。ところが、でございます。以前にもお話ししたかと存じますが、龍太郎さんは、ご自分のことをまんざらではないとお考えのふしがあったようでございました。性格も、竹を割ったように真っ直ぐで、周りの人にも好感をもたれているはずだ、と思ってらっしゃる節がございました。ところが結果は惨憺たるもので、例えで申し上げますれば、いろんな意味で、自分は80点か90点はいくと思っていたのに、そのシートは、あなたは人間としては20点で奇人にちかいですよと言っているのでございます。そこで友子さんに、採点の間違いではないかとくどくどお尋ねになっていらっしゃいましたが、どうも間違ってはいないことが分かってきたのでございます。龍太郎さんの落胆ぶりは目を覆うばかりでございました。大抵のことではケロッとしている龍太郎さんも、その戸惑いは覆い隠せないようでございました。それに加えて、性格も竹を割ったどころか、蔦のごとくからまっておりまして、変人も恐れるほどの出来映えでございました。キリスト教用語で申しますれば、何の良きものもない罪人の頭、と言うわけでございます。龍太郎さんはしばらく黙ってうつむいておられましたが、やがて、寝る、と一言おっしゃられてお布団にはいられたのでございます。どんなお人でも、本当の自分に向き合うということは嫌なものでございますね。でも、誰かが言っておいででした。そこから総てが始まる、と。ところで、龍太郎さんの場合、始まることができるのでしょうか。いささか、心配なのでございます。

明くる朝、龍太郎さんは何事もなかったように起きられて、せかせか歯を磨いて会社へお出かけになりました。あ、それに関してちょっと変わった癖があるのでございます。普通の人は、食事をとってから歯を磨きますね。でも龍太郎さんは、まず、歯を磨いてからお食べになるのでございます。流石に、皆さんから、それはおかしい意味がないと指摘され、夕食の時は寝る前に磨いておいでのようでした。龍太郎さんの理由によりますれば、何でも歯を磨いて食べた方がうまいとのことでございます。これは私の感想でございますが、龍太郎さんについては、もう少し落胆が続いたほうがよかったのではないかと思うのでございます。新巻家の安定と世界の恒久平和のために。

その友子さんのカウンセリングのお勉強でございますが、なかなかお役に立つようでございます。いろんな人が相談にきますが、友子さんは習ったばかりのカウンセリングの手法を使いながらを、あれやこれやとアドバイスしておられるのでございます。私などが傍から見ておりますと、こんなに人生には問題があるのかと同情するのでございます。しかし、よくもまあ赤の他人の前に自分の問題をぺらぺら話すものだと、これも感心するのでございます。いちばん多いのが夫の浮気でございますよ。私もこの問題には興味がありますので、傍で何食わぬ顔をして聞いておりますが、いつも聞いておりますせいか、いっぱしのカウンセラーになったような気がするのでございます。しかし、なぜか龍太郎さんには誰も相談にこないのでございます。確かに、あの人に相談しても解決の糸口どころか、悪くすれば事が大きくなるだけだと思ってのことと推測しております。それに加えて龍太郎さんは、人に相談するな自分で考えろと普段から言っておられますので、あの人に相談しても意見されるだけだと思っているのでございましょう。つい先日も若い青年が、僕の人生、これからどう生きたらいいのでしょうか、と漠然かつ無責任な相談をしにこられたことがありましたが、龍太郎さんがきっぱり言っておられました。その問いは、人に相談するべき問題か、自分でじっくり考えるべき問題か出直して考えこい、と。この件に関しましては私も龍太郎さんと同意見でございます。だいたい自分の人生について人に意見を聞くとは自分の人生を放棄したも同然ではございませんか。これが立派な大学を出た若者でございます。きっと今まで親御さんが手取り足とりして面倒を見てこられたのでございましょう。いい若いもんが、あ、いけません私も龍太郎さんの癖が移ったようでございます。とにかく、色好い相談相手ではございませんので、人々が寄り付かないのでございます。龍太郎さんは孤高のひとなんでございます。それに、あんまり人から好かれるタイプではないと私は見ております。第一、愛想が全くないのでございます。普段よりムスッとしておいででございます。私などが横を通っても、他の人でしたら、「シャケちゃん」とか言って頭をなでるとかするのでございますが、余程機嫌がよい時以外は「ええいうっとうしい」と頭から無視でございます。きっとネコだけではなく、人間もそうなんでございましょう。そんな龍太郎さんも小さな、それも2、3歳でございましょうか、女の子がちょろちょろすると、仕事中でもうっちゃって相手をなさるのでございます。もしその子がアイスクリームとでも言えば、すぐ買いにいくだろうと思うのでございます。そんなことで、好き嫌いが激しいのでございます。ですから、一旦好きになったらもうぺろぺろ舐め回すように可愛がるのでございます。その点では、ネコの私たちと似ております。私たちもよく舐めあっておりますので、龍太郎さんのお気持ちもすこしはわかる気がするのでございます。

ところで龍太郎さんが恐れていることがひとつあるのでございます。以前お話ししたことがあると存知ますが、田舎の友子さんのご両親でございます。従って百合子さんと静子さんのおじいちゃんとおばあちゃんでございます。この友子さんのご両親が判で押したように、丁度夏休みあたりに来るのでございます。来ると申しますと、この新巻家に身を寄せるのでございます。龍太郎さんはもう何週間も前から、指折り数えてその日を意識しておられるのでございます。友子さんのご両親でございますので、それはもう凄いのでございます。おじいちゃんの方はそれ程でもございませんが、問題はおばあちゃんの方でございます。心がいじけているのでございます。もう七十も終わりに近いというのに、まだ自分を女学生かなにかと間違えているのではないかと思える節があるのでございます。従って、服にはうるさいのでございます。しかし客観的に見れば、何ともおかしなかっこうでございまして、孫たちもほとほとあきれているのでございます。私の観察したところによりますと、どうも世界の中心は自分にあると実感しておいでのようでございます。そして、今でも子どものころの可愛そうな身の上をお話しなさるのでございます。勿論誰も聞いてはおりません。それは本人にとって不本意ではございますが、それでも話さずにはおれないのでございましょう。眠くなるようなお話しではございますが、少しお付き合いをお願いしたいのでございます。

 聞くところによりますと、おばあちゃんは幼少の頃より不幸な身の上だったそうでございます。その訳を友子さんは何百回も聞かされたそうでございますので、もう暗唱しております。それによると、まず、自分の父親というのが、つまり友子さのおじいちゃんに当たる人ですが、その人が女性の趣味が豊富な方だったそうで、何でもまだおばあちゃんが小さい頃、その母親を追い出して2号さんを家に入れたそうでございます。その2号さんはそんなに悪い人ではなくそこそこに可愛がってくれたそうでございますが、その2号さんもはかなく病死となり、3号さんのお出ましとなったそうでございます。そんなことで、兄弟は7人と多かったのでございますが、3種類の母親から生まれた兄弟と共に育ったそうでございます。そこで、ご本人の言い分によりますと、かなり悲しい思いをして、当時自分を理解してくれたのは乳母のなんとか言う人だけだったということでございます。家は薬屋を生業としていて、田舎ではかなり繁盛していたそうでございます。とにかく、その名残として、自分の性格が少々曲がってきたのであって、従って、今も自分に問題があったとしても、その責任はそのような七十年前の過酷な環境のせいだと言い張るわけでございます。成程、理屈とこうやくはどこにでも付くとは言いますが、これなどその例にぴったりでございます。要約しますと、可愛そうな身の上が、私を少々歪にしたのであり、これが幸せな環境で育っていれば・・・、と言う訳でございます。そのせいかどうか分かりませんが、食べ物に対する執着はすごいものがございまして、実の娘も孫も勿論わが龍太郎さんも飽きれ顔でございます。私がじっと観察いたしました結果、まず三度三度の食事も初めから終まで人一倍お食べになり、その合間に紙袋に入れたせんべいなどがりがり食べておられまして、その他のときはお休みでございました。もうひとつは生への異状なまでの関心でございます。肝臓を煩ったせいか健康に対しては注意を払っておられまして、流石の龍太郎さんも恐れ入ったのでございます。信じられないかもしれませんが、ひとつ例を示しましょう。皆様方の家でお馴染みの電子レンジ、友子さんがわざわざ買ってあげたのでございます。ところがおばあちゃんが言うのでございます。電子レンジからは殺人光線が出るので健康に悪い。友子さんは一瞬目が点になったそうでございます。わざわざ実の娘が買ってくれたものを事もなく拒否なさるのでございます。どこでお聞きになったのか存じませんが、なんでも電子レンジからは微弱な電波が出てそれが人体に悪影響を与えると言うのでございます。いいじゃございませんか。例え殺人光線が出ても、人体に悪影響があっても。もうお迎えが近い人にしては往生際の悪い人でございます。その割には、殺人光線がレンジの何倍も出ているテレビの前が大好きでございました。

そのおばあちゃんたちが来るのでございます。龍太郎さんならずとも身構えるのでございます。そして予告通りいらっしゃいました。全員で玄関でお出迎えしたのでございますが、龍太郎さんは気のせいか少し顔が引きつっていらっしゃったようにお見受けいたしました。無理もないと思うのでございます。ものすごい量の荷物にちゃんと忘れずにおやつの袋が二袋ありました。これを食べながらの列車の旅だったようでございます。従いまして、友子さんのご両親がこられてからは心無しか、龍太郎さんの残業の回数が多くなったようにお見受けいたしました。龍太郎さんの願いは、このおじいちゃんとおばあちゃんにはやく長野の山小屋にいっていただいて、また平安の日々が帰ってくることのみでございました。おじいちゃんの方は、ちょっと耳が遠くて、時々龍太郎さんがまだ寝ていらっしゃる時に、頭上で急にニュース番組ががなりたてるくらいのことで大した実害もございませんでした。友子さんにとっては実のご両親でございます。感激もひとしおでございましょうが、来ると疲れるのよね、とこぼしていらっしゃいました。百合子さんと静子さんにとってはおじいちゃん、おばあちゃんでございます。それでも、どちらの方かが小声でいってましたよ。たまにはいいけど、ずうっと居られたらたまんない。私その間旅行しようかな、と。とにかく、目が覚めると朝から予定外の人がお二人いらっしゃるのでございます。龍太郎さんは、このご両親を焦点の定まらないまなざしで一瞥しながら何か考え事をしてらっしゃるようでございます。聞くところによりますと、それは自分たちがこのおじいちゃんの年齢になったとき、そこまでしぶとく生きられればの話しではございますが、同じような事になるのだろうかと言うことを、今から考えておられたのでございます。もしかしたら、もっと悪いことになるかもしれない。百合子さんや静子さんはそのときどうなさるのか、お二人は、特に龍太郎さんが心配なさるのでございます。龍太郎さんと友子さんにボケが進んで夜中にあちこち出歩いたり、おむつをして一日にご飯を5回も6回もたべたり、そう考えると、そうならない前に天国とやらに早めに移り住むことを龍太郎さんはお考えのようでございました。考えてみますと、人間なんて淋しいものでございますね。人間は願っているようにはならないのが常でございます。何処の世界にさわやかに枯れることを願わない人がおりましょう。しかし、誰も思いどおりにはならないのでございます。むしろ願わない方向に流されるものでございます。人間は、黙ってそれを引き受けるしか道はないのでございます。生きものが生まれるときだってそうでございます。私だって、できたらイギリスの王室あたりの飼いネコに生まれて、お城で多くの召使にかしずかれて、蝶よ花よと言われながら暮らしたかったと思う訳でございます。しかし、現実には、私は捨てネコで親がどんな素性のネコかも分からないのでございます。おまけに拾われたのが運悪く龍太郎さんの家とくれば最悪のコースとまではいかなくても、中の下か下の上でございます。どちらにしても大した違いはございません。あ、今は私の身の上話しをする場ではございませんでしたね、失礼いたしました。話題は人間の老いでございました。つまり、龍太郎さんは、友子さんのご両親にご自分を重ね合わせていらっしゃったのでございます。早い話しが、二、三十年後の龍太郎さんが目の前にいらっしゃるのでございます。そんなことで龍太郎さんの心境は複雑でございます。ああ、これが俺の末路か。深いため息が何よりも雄弁に龍太郎さんの心境を物語っておりました。そして、いまの自分たちの立場に百合子さんや静子さんが立ち、困ったもんだと思われる。ああ、考えただけで暗くなるのでございます。龍太郎さんは悲しいのでございます。特別に何がどれがという訳ではございません。強いて言えば、生きることそのものが悲しいと思われるのでございます。この辺になりますとネコの私には到底及びもつかない、人間の根底を流れる人間そのものの問題でございます。龍太郎さんはそういう事を考える年齢に成ったのでございます。ところで、友子さんはこのことをどう考えておられるのでしょうか。このこととは、どのことかと言えば、例の老いのことでございます。結論を先に言ますと、友子さんは、心配しておられないのでございます。では安心しておられるのでございましようか、してその根拠は。根拠は何もないのでございます。ただ、心配なさらないのでございます。これはキリスト教信仰に裏内されたことでございましょうか。それにしても、龍太郎さんと比べればえらい違いでございます。片方は前途に暗雲がたれこめているのに対して、片方は晴天で雲と言えば入道雲があるくらいでございます。確かに、イエスさまも思い悩むなと言ってらっしゃったように聞いておりますが、そんな言われても、はい分かりました今後一切悩みません、とはいかないのが人の常でございます。だから龍太郎さんのように悩むのでございます。と言うことは、友子さんはひょっとして教祖ほどに偉大な悟りを開いたお方でございましょうか。その点での龍太郎さんの観察によりますと、別に友子さんは悟ってはいないのだそうでございます。ではそれ程の楽天はどこから来るのか。やはり夫婦でございます。龍太郎さんの人を見る目は、会社の面接のときは見誤りもしますが、長年連れ添った奥さんの考えはお見通しでございます。つまり、龍太郎さんの申しますには、先のことを悩む前に目の前に悩むことがいっぱいあるのに、どうして何十年も先のことを悩むのか気がしれないということと、これが一番正解と思うのでございますが、友子さんは何事も長い時間考えたり、一つのことを思い続けるための脳細胞の一部が欠落していて、ある程度までくるとそこで思考が停止するのだそうでございます。得な性格でございます。その点、龍太郎さんはうじうじ考えて無駄な時間を費やすのでございます。これがわが敬愛する新巻夫婦でございます。脳細胞の欠落場所が違う中年真っ盛りの男女が、ああでもないこうでもないと口論しながら、今日も元気に行こうと上がらない士気をさらなる気迫で押し進むのでございます。こう言いますと何やら緊迫感が漂うようでございますが、何のことはない、ただの日常の日々でございます。おお、何と平凡の素晴しきこと。

しかし、ここで区切りをつけては片手落ちというものでございます。何に対してかと言いますれば、今までさんざん友子さんのご両親をコケにしてきたのに、龍太郎さんのご両親を無傷にしておいては不公平というものでございます。そこで龍太郎さんのご両親のことも続いてご紹介したいのでございます。またかと言われるかもしれませんが、もうしばらく眠気を我慢してお聞きいただきたいのでございます。まず百合子さんや静子さんのおじいちゃんにあたる人でございます。つまり、龍太郎さんのお父さんにあたるお方でございます。この方もご多分に漏れず、龍太郎さんに輪をかけたようなお人でございまして、これまたすごいお人なんでございます。お仕事はと言いますと、小さな建設会社を営んでおられまして、いつ倒産しても不思議ではないほどの危ない会社でございます。このお人のどこがすごいのかと言えば、気の短さでございます。この点も龍太郎さんに100パーセント遺伝していまして、従いましてこのお人が本家でございます。比較のために言いますと、龍太郎さんの気の長さが10センチだとしますと、龍太郎さんのお父さんという人は3センチあるかどうか、と言うほどでございます。とにかく短いのでございます。ですからよく喧嘩しておられたようでございます。そんなことですから取れるお仕事もそれでフイになったことは一度や二度ではございません。その上お酒が大好きで、365日何があっても晩酌は欠かしたことはなかったそうでございます。まだ龍太郎さんが小さい頃でしたが、交番から電話がありまして、酔っぱらったお父さんを豚箱まで貰い下げに行ったこともあったそうでございます。かなり家族にも面倒をかけたようでございますが、では、このお人に取り柄はないかと言えば、一つあるのでございます。それはお仕事でございます。お仕事は真面目になさるのでございます。しかし、その割には龍太郎さんの家は貧乏でございまして、龍太郎さんにはその訳が分からなかったそうでございます。そのお父さんが子供たちに残したたったひとつの教訓は、あんな生き方だけはしないようにしような、と三人の兄弟が心に誓ったと言う程ですから大変なものだったようでございます。そのおじいちゃんも百合子さんがまだ幼稚園前に亡くなりました。5年ごしのガンが再発したのでございます。そのおじいちゃんでございますが、孫には優しくていろいろと玩具を買ってくるのでございます。まだ乗れないうちから三輪車や四人乗りのぶらんことか。龍太郎さんの時にはこんなことはなかったようでおざいますが、孫には特別のようでございました。後で百合子さんがその三輪車に乗って、道路の溝に落ちてお顔の片側を大幅にすりむいた時にはおばあちゃんとの間にまた一悶着あったようでございます。その頃の静子さんはと言いますと、まだおねんねでございまして、ほとんど出番はなかったのでございます。従いまして、出番といえば百合子さんの独壇場でございました。そのおばあちゃんでございますが、何と表現したらよいのでございましょう。田舎の田んぼの中でお育ちになったのでございまして、田舎者の見本のようなお人でございます。第一、声が大きいのでございます。その訳をお聞きしたことがございましたが、何でも田植えや稲刈りの時に、田んぼに出ている人々にお昼の合図をするのに、声は大きい方がよいのだそうでございまして、街の中に住んでもその習性は変わらなかったのでございます。その上なんでも大ざっぱで、細かいことは大嫌いでございました。家事一切もそのようで、いつもおじいちゃんと言い合いを日課としておられたのでございます。そのおばあちゃんも、おじいちゃんが亡くなられると宿敵を失ったことの淋しさからか、おじいちゃんにも少しはいいところがあったと言っておられました。それは具体的にどんなところですかとお聞きしましたところ、具体的にはないとのことで、よく分からないお話でございました。そのおばあちゃんにも弱みがあるのでございます。旅行が大の苦手で、東京に出てこられたのは20年間で一度でございました。しかもそそくさと三日目にはお帰りになりました。友子さんもお子さん方も、またタイプの違うおばあちゃんに接して応対も大変だったようでございます。友子さんちのおばあちゃんはファッションと食べ物が大好きでございましたが、龍太郎さんのおばあちゃんは着る物にも食べる物にも無頓着なんでございます。空港に降り立ったそのお姿をご覧になった龍太郎さんは絶句なさいました。最近そのことに磨きがかかったと弟さん達から聞いてはおられたのでございますが、実物は予想を遙かに凌いでいたのでございます。しかし、確かに龍太郎さんのお母様で百合子さんと静子さんのおばあちゃまでございます。みんながおばあちゃんをジロジロ見るので、龍太郎さんは冷や汗をかいておられました。このジロジロ見られるという点では、友子さんのおばあちゃんも又別の意味でジロジロみられたのでございました。依然お話ししましたように、ご自分をまだ女学生だと思っておられる節があり、孫達が着てもおかしくはないようなヒラヒラのついたものを平気で着られるのでございます。そんなことでどちらのおばあちゃんも人様からジロジロ見られるのを常としておられたのでございます。そんなことで、何かあるごとに周りのものは冷や汗をかくのでございます。話を元に戻しますと、龍太郎さんのおばあちゃんの風呂敷包みの中からは、孫達へのお土産がごろごろ出てきたのは言うまでもございませんでした。またこのおばあちゃんは食べ物についても対極的でございます。友子さんのおばあちゃんは美食家でございます。うまいもののためには努力を惜しまないし、よくお食べになる。それに対して、龍太郎さんのおばあちゃんは、ご飯におつゆとお新香があれば充分だそうでございます。初めて東京に出てきたからと、龍太郎さんがレストランに家族中で出掛けられたのですが、ほとんどお食べにはならず、孫達が食べているのをにこにこしながら見ておられたのでございます。しかし龍太郎さんにとっては実の母親でございます。それなりの感慨があるのは当然でございましょう。おばあちゃんが滞在なさった期間は、龍太郎さんは会社を休んで車を運転し東京中を案内なさったのでございます。龍太郎さんが、どこに行きたいかとお尋ねになったら、おばあちゃんは、何でも女学校時代に皇居に行ったとかで、もう一度見たいとのことでございました。そのおばあちゃんがお帰りの時に、大きい声では言えませんが、孫たちとは別に、龍太郎さんはおばあちゃんからお小遣いを貰った節がございます。いつまで経ってもおあちゃんかすれば龍太郎さんも子どもにすぎないのでございました。

 さて、話しは変わりますが、と言いましても新巻家のお子様方のことでございますが、お子様と申しましても長女の百合子さんも次女の静子さんも今ではとっくに成人しておられます。いつまでたっても龍太郎さんは子どもだと思っておりますが、これがまた龍太郎さんの頭痛の種でございます。と申しますのが、既にお話したと思いますが、次女の静子さんはこの度、折角勤めていた会社をお辞めになりました。自分の目指していた仕事ではなかったから、と言うのが理由でございました。思い切ったことをするものでございます。龍太郎さんは憤慨しておられました。静子は世の中の厳しさがわかっとらん、面と向かっては言いにくいので陰でぶつぶつ言っておられました。その点、母親の友子さんはまた考えが違うのでございます。おおらかなのでございます。若いうちに色々経験して、好きな道にすすみなさい、これが友子さんの意見でございます。両親の意見が全く違うのですから子供としても面食らうかもしれません。しかし長年この家で生きてきた子供たちでございます、親の意見は頼りにはならない、これが唯一親から学んだ事でございます。と言うことで、静子さんはただ今浪人中でございます。そんな静子さんを、これ幸いと龍太郎さんも友子さんも女中代わりにこき使おうと頼りにしているのでございます。百合子さんはまだ学生でございます。受験に手間取りまして、まだ大学4年でございます。歌が専攻でございまして、頭の上から声を出しておりますが、龍太郎さんは大した腕ではないと踏んでおります。この点でもまた友子さんの意見は違っております。うちの子は天才だと言ってはばからないのでございます。例によって、またお二人とも根拠がないのでございます。コンサートで百合子さんが歌うと、百合子の歌が一番良かったとふれて回るのでございます。ネコの私が言うのもなんですが、百合子さんの歌の腕前は龍太郎さんと友子さんの中間あたりが妥当ではないかと思うのでございます。要するに、並でございますよ。

そんなことで、失業者と学生を背負いながら、龍太郎さんと友子さんが必死に働いているのでございます。おまけに、私とサトミもそれにぶら下がりまして、龍太郎さんも大変なんでございます。働けど働けどわが暮らし楽にならざる・・・の心境でございます。でも、みんなぐうたらぐうたらしている訳ではないのでございます。私もサトミもお仕事をしているのでございます。それは、人間の目には遊んでいるように見えましても、カーペットをひっかいたり、ご町内の皆様のご機嫌を伺ったり、時々は龍太郎さんの膝に座ったりで、大変なんでございます。本当は時間外手当を請求したい程でございますよ。でもこの家庭は余裕が伺えるのでございます。別にお金に余裕があるのではございませんが、精神的な面でと申し上げた方がよいと思うのでございますが、がつがつしないのでございます。これもご夫婦揃って日曜日に教会にお出かけになり、有り難いお話をお聞きなさるからでございましょうか。それとも天性の、脳の欠落部分がそうさせているのでございましょうか。いづれにしても、私共ネコにとっては、新巻家は住み良いのでございます。

ついででございますので、少しお子さん方が小さかった頃のお話しをもう少しお話しますと、今度は楽しいお風呂のことでございます。実は、龍太郎さんは静子さんや百合子さんとお風呂に入るのが楽しみでございました。よく、一緒に入ろうと誘ってお互いに背中を流しあっていらっしゃいました。夕闇が迫る頃、親子の明るい笑い声がお風呂の窓から聞こえてくるのでございます。親子が一緒にお風呂に入っているのは端から見ていても微笑ましいものでございます。ところがある日、百合子さんがもうお父さんとはお風呂には入らない、と言い出されたのでございます。龍太郎さんはびっくりして、どうして急にと言う顔をされたのですが、百合子さんは頑として譲らないのでございます。後で友子さんから聞いた話でございますが、それには訳があったのでございます。それは学校でのことでございました。友だちどうしで家のこと、特にご両親のことなど話ししているうちに、お風呂の話題になったそうでございます。その時、何気なく私たちはお父さんと一緒にお風呂に入っているのよ、とお話になったのでございます。ところがその時話の輪が一瞬騒然となったのでございます。ところが、百合子さんにはその訳が分からなかったのでございます。百合子さんはそのとき六年生、生静子さんは五年生でございました。百合子さんはお友達の驚きようから、私は何か人並みはずれたことを言ったにちがいないと思い、考えたのでございます。そして、小学六年生の頭で考えた結果、お父さんとお風呂に入るのは日本の社会通念上よろしくないことに違いない、と理解なさったのでございます。確かに、今時の女の子が小学六年生までお父さんと一緒というのは驚きでございますが、新巻家ではそれが普通だったのでございます。おまけに、静子さんまでがもう入らないと言い出されて、龍太郎さんはしょげていらっしゃいました。その後の話を総合しますと、他の子供さん方は、小学に上がったときからお父さんとは入らなくなったと言う人や、三年生までというのが最高だったそうで、六年までと言うのは百合子さんだけだったのでございます。仮に、このような話題がなかったらまだこの記録は伸びつづけただろうに、龍太郎さんに成り代わって誠に残念なことと思うのでございます。と言うことで、新巻家のお子さん方はだいぶ晩生のように見受けられるのでございます。そう言えば、ずいぶん前でございましたが、友子さんが龍太郎さんに言っていらっしゃいました。あなた、もう子供達も大きくなったんだから、お風呂にはあなたひとりではいったらどうですかと。ところが、龍太郎さんは例によって聞く耳持たぬといった調子でございました。その結果がまとめて出たのでございます。龍太郎さんの楽しみがこの世からひとつ消えたのでございます。

また、旅行の思いでも傑作でございました。今どき、二十歳を過ぎた娘たちがおとなしく親と家族旅行をするというのも稀でございますが、新巻家では当然のこととして実行なさるのでございます。百合子さんも静子さんもぶつぶつ言いながらも龍太郎さんたちにお付き合いなさるのでございます。昨年は久しぶりに家族旅行に北海道にいらっしゃいました。懐かしいかって生活した地を巡ってみようと思ってのことでございました。広い北海道ですので車をフェリーに積んでのご旅行でございました。新巻家には運転手は3人います。唯一免許を持っていないのは長女の百合子さんでございます。端から見ていても、この人には免許はあげない方が世界平和のためにいいだろうとは思うのでございます。第一、自転車でもよく転んだり電柱にぶつかったりで服を汚してしまわれます。このお方がハンドルを握ればどういうことになるかは火を見るより明らかでございます。もし、百合子さんが運転でもする日には、ご町内の皆様には回覧板など回して、家から出ないようにおふれを出さなければなりますまい。考えただけでも背筋が寒くなるというものでございます。では、次女の静子さんはどうか。こんどの北海道旅行でその腕前をとくと家族の前に披露なさったのでございます。以前にも申し上げましたように、静子さんは度胸だけはいいのでございます。車と車の間からでもひょいと出られるのでございます。その度ごとにものすごい叫び声が車中に響きわたるのでございます。ご本人は、このものすごい叫び声と車の運転との関係についてはとんと無頓着で、ことの重大さは理解されてないようでございました。従って、広々とした真っ直ぐな北海道の道を美しい景色を見ながら運転を楽しんでおられましたが、その間中、龍太郎さんは助手席で身を固くしていらっしゃいました。きっと心の中では神様にお祈りされたのではないかと推測しているのでございます。神さま、生きて東京に帰ってくることができたら、献金を増やしますと言われたかどうかさだかではありませんが、その祈りが聴かれたのでしょうか、無事帰還なさったのでございました。近所の方々が、北海道旅行はどうでしたかとお訪ねになったのでございますが、龍太郎さんは何も覚えてはおられなかったようで、曖昧なお返事をしておいででした。ただただ、生きて帰ることだけが望みだったのでございましょう。では、なぜご自分や奥さんの友子さんに運転を代わられなかったのでございましょうか。実は、友子さんも静子さんと大して変わりはないのでございます。それに静子さんは免許をとってまもなくでございましたので、運転したくて龍太郎さんには代わらせてくださらなかったのでございました。疲れた、これが北海道旅行での龍太郎さんの感想でございました。なお、他のお三人は昔の知人を訪ねたり、美味しいものを食べたりして、美しい8月の北海道の景色を堪能されたご様子でございました。

実は、怖いお話しは他にもあったのでございます。北海道旅行も後半に差し掛かった頃の出来事でございました。あと二日で函館から青函連絡船に乗って帰途に着く二日前、洞爺湖のとあるログハウス調のペンションに宿泊することになりました。そこのマスターのお奨めはカナディアンカヌーでございました。カナディアンカヌーなんて触ったこともない家族ではございますが、この家族、恐れることは地球上にはあまりないのでございます。この場合の根拠としては、観光地の手漕ぎボートにのったことがるとのことで、ボートに変わりはなかろうというのが家族の一致した考えでございました。早速乗ろうということになりました。マスターの話しによりますと、カナディアンカヌーは少々安定が悪いので、カヌーに乗ったら決して立ち上がらないようにとのお達しでございました。二艘のカヌーに二人ずつ乗りました。百合子さんと静子さん、それに龍太郎さんご夫婦でございました。乗ってから分かったのですが、観光地のボートとは比べ物なら無いほど操作が難しいことが判明しました。二人が別々に飛行機のプロペラみたいなオールを漕ぐのですが、息がぴったり合っていないとうまく前に進まないのでございます。そこは無鉄砲な家族でございます。むちゃくちゃなロールさばきで何とかボートは岸からはなれ、だんだん岸にいるマスターが小さく見えるようになったのでございます。皆さん、やればできる。自信と共に喜んだのでございました。湖に目を向けますと、岸辺では澄んでいた水もだんだん緑色の不気味な色になってまいりました。日もはや傾こうとする頃でございました。突然、友子さんが立ったのでございます。立つな。これはカナディアンカヌーに乗る時に、マスターから注意事項として言われたたったひとつのことでございました。そこを押して立つのが友子さんの凄いところでございます。龍太郎さんがあわてて何か言いかけたときにはもう遅そうございました。お二人は共に水の中。何がなんだか分からないうちにボートは安定を失ってひっくりかえったのでございました。幸いライフジャケットなるものを着けていましたが、お二人は動転なさったそうでございます。友子さんは訳のわからないことばを連発してただ浮かんでいるだけでございました。龍太郎さんは何とかしてボートを復元しようとやっきになっていらっしゃるのですが、友子さんは横転のショックからでしょうか、何も手につかずただ浮かんでいるだけでございました。娘さんが方のボートが驚いて助けに来ようとするのですが、なにぶん不慣れで時間がかかるのでございました。その間、龍太郎さんはボートの復元を何回も試みられたのですが、あと一歩というところでまたひっくり返るのでございました。その度ごとに龍太郎さんもひっくり返ってまた湖に投げ出されるのでございました。しかし、ここは意地でございます。何度も何度も挑戦なさったのでございました。その間、友子さんは、自分でこの惨事の原因を作っておきながら、他人事のように、ただ浮かんで空を見ているだけのようでございました。それは龍太郎さんの徒労とも思える作業との対比において何ともこっけいなことでございました。そのうちに必死に漕いできた娘さん方のボートが近づいてきました。娘さん方も動揺しています。動揺していないのは今回の大惨事の張本人の友子さんだけでございました。そこで駆けつけたボートにいざ乗ろうとして、試してみたのですが、4人は無理と龍太郎さんは判断しました。ここで二人が無理をして乗り込もうとしてまたこのボートが転覆したらヤバイ。龍太郎さんは即座に判断して、このままの状態で、一丸となって岸まで泳いで行こうと決めたのでございます。そのうち、岸で見張っている人が助けに来るかもしれないと遠くの岸辺に目を向けたのですが、だれもいないのでござます。泳ぎながら、ひっくりかえったボートを引っ張りながらでございましたので岸までは長い道のりでございました。しかし夕日を背に受けながら、家族四人が力を合わせて岸に向かう姿は映画の一シーンのようでございました。

ところで、約束ではだれかがいつも見張っているとのことでございましたが、これはどういうことでございましょうか。こういう時のための見張りでございます。夕暮れが迫る頃、全員ずぶ濡れになってペンションに帰ったところ、その見張っているはずの人が、台所でかいがいしく料理を作っているではございませんか。そのご主人、ずぶ濡れの家族を見て、どうしたんですか、とひと言。龍太郎さんがあれこれ説明なさったら、そのご主人が申されますには、いい経験しましたねー、とのことでございました。それを聞いて龍太郎さんは疲れがどっと出たのでございました。しかし考えてみると、今日はいい経験をした。龍太郎さんは麦ジュースなど飲みながらひとり悦にいっておられたのでございました。家族の絆、これが今日の収穫でございました。

話は前後しますが、そのボートが転覆して、一応の落ち着きを取り戻した時でございました。龍太郎さんが、財布が無いことに気づかれたのでございました。しまった。財布は湖の底か。今度の旅費の全額が入っていたのに。悪いことは重なる。水の中ですが龍太郎さんはがっくりと肩を落とされたのでございました。ところが静子さんが、お父さん、そこそこ、と申されるではございませんか。言われるまま目を横に向けますと、何と龍太郎さんの財布が波間にぷっかぷっか浮いているではございませんか。うれしいやら侮辱されているやら。とにかく、この時ばかりは軽い財布に感謝したのでございました。

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